白柳ネーブル

2015.01.14

「へそ」のような「くぼみ」でおなじみのネーブル・オレンジ。国産オレンジを代表する品種で、酸味と甘みのバランスのとれた味が人気です。遠州地域の北部、細江町を中心に栽培される「白柳ネーブル」は、ネーブルの中でもひときわ大玉で、皇室にも献上されるほどの品質。年の瀬や新年の贈答品としても重宝されています。

【第1話】

産地になるまで

自然の奇跡が作った果実

ネーブルオレンジの生まれ故郷はブラジル。オレンジの「枝変わり」として発生し、19世紀後半にカリフォルニアで2本の苗木から育成されました。「枝変わり」とは植物の一部の枝のみが他と異なる遺伝形質を示す現象で、突然変異の一種。いつ起こるとも知れない奇跡のような出来事からネーブルは誕生しました。「ネーブル(へそ)」というその名の通り、果実の上部に「へそ」のような「くぼみ」があるのが目印です。

和歌山から遠州へ

ネーブルが日本へ渡ってきたのは明治22年。文明開化のただ中、あらゆる西欧の文化が日本に入ってきた時期です。ネーブルは、まずはアメリカから「ワシントン・ネーブル」という品種が和歌山県に導入されました。苗木を手に入れたのは、和歌山の農家・堀内仙右衛門氏。みかんの老樹への接ぎ木など改良を重ね、明治29年、初めて記念すべき9つのネーブルの実をつけました。

仙右衛門はその後もネーブルの育苗(いくびょう)に没頭し、ネーブルの増産に成功しました。ネーブルの栽培方法を学ぶため、全国から人が集まりましたが、仙右衛門はこころよく、その技術を伝授したそうです。そうした仙右衛門のネーブル栽培への情熱の甲斐もあり、遠州地域でもネーブルの栽培が始まりました。

戦渦をのりこえたネーブル

遠州地域で最も多く栽培されている「白柳ネーブル」は、細江町伊目(いめ)の加茂吾郎氏が、ワシントンネーブルの枝変わりから大玉の実がなることを発見したのがはじまりです。またも自然の不思議な力によって奇跡が起こったのです。

ところが、第二次大戦中の食糧増産政策のため、このネーブルの原木は軍により伐採されてしまいます。これにより大玉ネーブルは途絶えたかに見えました。しかし同じ地区の白柳辰雄氏が、加茂氏からゆずり受けた穂木を高継ぎしたものを、大切にそだてていたのです。このネーブルオレンジはやがて、「白柳ネーブル」と名付けられ日本各地に広まり、日本のネーブルを代表する品種となりました。


参考:『遠州の地場産業』(静岡県西部地域しんきん経済研究所)/ 和歌山ふるさとアーカイブHP
go to pagetop