三方原のじゃがいも

2014.07.16
【第1話】

産地になるまで

失敗に終わったじゃがいもの初上陸。

じゃがいもが初めて日本にやってきたのは、江戸時代初期にまでさかのぼります。当時ジャワ島(現在のインドネシア)を活動の場としていたオランダ人が、ジャカルタから長崎の出島に持ち込んだといわれており、「じゃがいも」という名前はジャカルタに由来しているそう。

せっかく日本に上陸を果たしたじゃがいもですが、当時は日本の食文化に根付かず、広く知れ渡ることはありませんでした。初上陸はいわば失敗に終わったのです。

そんなじゃがいもが雪辱を果たしたのは明治時代です。アメリカやアイルランドから再度輸入され、徐々に栽培が広がっていきました。遠州地域では大正時代初期に、三方原台地と湖西市の白須賀台地で開墾とともにじゃがいも栽培が導入されました。

3つの村が共有する地・「三方原」。

三方原(みかたはら)の名は江戸時代、「都田」「和地」「祝田」の三方から農民らが草刈りをする共有の原(「入会地」(いりあいち))だったため、「三方が(の)村の原」と名付けられていました。これが転じて、「三方ヶ原」と呼ばれるようになったのだとか。

現代の私たちにとっては「シェア」の概念は、むしろ新しい考え方と捉えがちですが、似たようなシステムが、すでに江戸時代にも存在していたのですね。

三方原は、明治期になってもキツネやタヌキなどが生息する荒れ地でしたが、大政奉還により俸禄を失った旧幕臣たちが、この地の開拓をすることになりました。これまで刀をさして悠々と暮らしていた彼らが、突然、刀を鍬(くわ)や鋤(すき)に持ち変えて原野を切り開いたわけです。

当然、慣れない重労働に耐えられない者も続出。生活の苦しさも重なり、開拓をやめて町での仕事に転職してしまった者もいたそうです。

三方原ブランドのじゃがいも誕生へ。

こうして、最初の頃はなかなか進まなかった三方原開拓ですが、戦後になると開拓民も増え、それにともない、じゃがいもの栽培もさかんになっていったそうです。昭和20年頃までは農家個人個人による出荷でしたが、昭和28年(1953年)からは農協の指導による共同販売が開始ました。




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