
お茶産業の発展のために、新しい仕組みをつくりたい
T丸山製茶さんの創業は、いつ頃でしょうか?丸山もう90年近くになります。元々はこの近くの農家だったのですが、祖父の代に、農家からお茶の製造と卸売業を始めました。その頃は、お茶の卸業をやっているというところは、この地区では少なかったのです。Tそうなのですね。丸山どちらかというと農家としてやっていて、掛川市の中心街のほうに、工場を持っている問屋さんがあったので、農家が生産するお茶の原料は、そのほとんどが問屋さんに流れていくという状況でした。Tそのような形態が通常の中、地元で加工までして、販売までやることに取り組まれたということですね。丸山そうです。T当時としては、先進的だったのではないですか?丸山先進的かどうかはわかりませんが、祖父としてはきっと、「これからのお茶産業を活性化するために、新しい仕組みを作らなければ」と考えていたのだと思います。
時代とともに、大型化した製茶工場
T丸山さんは社長であるお兄様と共に三代目ということですが、お父様の代から継がれて、どれくらいですか?丸山今30年ぐらいです。Tその頃から、お茶を取り巻く環境は、どのように変化しましたか?丸山昔は、お茶農家さんがあって、住まいの横に「茶部屋」というのがありました。そこで、「荒茶」というお茶の原料を作る加工をやっていたのです。それがずっと続いていて、個々に特徴のあるお茶をたくさん作っていました。
それが次第に大型化していって、ここ、掛川市の上内田という地域でも、大きく二つの工場に分かれました。Tなるほど。丸山製茶さんでは、今、何軒ぐらいの農家さんから原料を仕入れていらっしゃるのですか?丸山だいたい80軒くらいです。掛川市全体で言うと、大型化している工場は40近くあります。Tそんなにあるのですね!丸山掛川はとにかく多いです。それに個人でやっている農家さんを含めると、把握できないぐらいあります。新茶の時期になると、お茶の原料のサンプルが1日200種類ぐらいうちに来るのです。ということは、1農家1工場でサンプルを3、4つ作ったりするので、そう考えると100以上は当然、原料を作る工場があるということです。30年やっていて、まだ全部は知りません。Tそれぐらい裾野が広いということですね。丸山そうです。掛川はお茶がなくなってしまうと、大変なことになってしまいます。今から他の産業といっても、多分無理ではないかというくらい、それくらいお茶はこの地域にとって重要なものですね。
つづく