宿泊セレクション

STORY

「意志」から生まれた「遊び」の空間

2014.08.18
■インタビュー/葛城 北の丸 統括支配人 榛葉 勝行

緑豊かな坂道を上がりトンネルをくぐると、目の前にあらわれるのは、武家屋敷を模した長屋門。「葛城・北の丸」は、今から36年前、楽器メーカーであるヤマハ四代目社長・川上源一氏によってつくられた日本建築の宿。そこは、氏のこだわりが隅々までいき渡った、現代の「平城(ひらじろ)」だった。

【第1話】

現代の平城・「北の丸」の誕生

葛(くず)の里で、城主をもてなすように

Tそもそも、楽器メーカーであるヤマハさんが、北の丸のような宿泊施設をつくる「きっかけ」は何だったのですか?
榛葉ヤマハリゾートのオーナーであった川上源一氏は、当時の日本楽器製造(株)(現ヤマハ株式会社)の社長をされた方でしたが、北の丸を作る前から、「10年先には、リゾートが必要になる」と言っていました。というのも、ヤマハ自体が楽器という、いわば余暇を楽しむためのものを提供する企業です。そういった中で、遊ぶための『もの』だけでなく、空間も提供しなくては、という考えがあったのだと思います。
Tなるほど。「葛城(かつらぎ)」というのは、元々あった地名なのですか?
榛葉いいえ。ヤマハが名付けたものです。この辺りは、昔から葛(くず)の産地でして、そこから「葛城」と名付けられました。ロゴマークも、葛の葉がモチーフです。

「北の丸」というのも、江戸時代の江戸城で言えば、正妻が居る場所です。ここでも、このゴルフ場を含めた敷地一帯の一番北に位置する奥座敷として、お客さまに「城主」のようにゆったりと過ごしてもらいたい、という思いが込められています。

使い道のなくなった古民家に、新しい命を吹き込む

Tずいぶんと歴史のある建物のようですが、どのようにしてできたのでしょうか?
榛葉北の丸の建物は、新潟・富山・石川あたりの、7棟の古民家を移築して建てられました。これだけ大きな梁や太い柱は、豪雪地帯の民家の特徴です。昭和40年代後半くらいから、北陸の豪雪地帯では、そろそろ新しく家を建て替えたいという話が出てきたのです。

やがて、その話題がメディアに出始め、テレビのドキュメンタリーでも取り上げられて、「もし使っていただける方がいれば、使ってほしい」という声があることを、オーナーである川上が聞きつけたわけです。
Tそういう、いきさつだったのですね。

図面を白紙に戻し始まった、24時間体制の城づくり

榛葉実は古民家の話が出てくる前は、ここは洋風の建物で設計図面が全部できあがっていたのです。建設の準備を整えているところに、オーナーの指示で急きょ、古民家を移築するということになって。ただ、すでに開業の日は決まっていました。ですから、普通であれば2年半かかるところを、4ヶ月ちょっとで仕上げることになったのです。昔で言えば、まさに「一夜城」です。
Tオーナーの鶴の一声、ですね(笑)。
榛葉はい、ほんとうに。そこから新たに、古民家移築に必要な人材を集めて、作業に入りました。
T古民家の移築というと、どういった職人さんが必要だったのですか?
榛葉やはり、宮大工さんで、京都や奈良方面から2組に入っていただきました。24時間体制でやることになり、正月にも作業に入るということになったので、大工さんを集めるのにも相当の苦労があったようです。
T24時間体制でお正月も作業ということは、大変に苦労されたことが分かります。
榛葉そうです。それで新たに他の職人さんを探したりしたそうです。
榛葉特に大変だったのは、解体から再度組み立てるまでの工程です。古民家を解体したあと、現地で空き地を借りて一度仮組みをして、それをまた解体して、こちらで最終的に組み立てる、ということをしたのです。
T気の遠くなるような作業ですね!
榛葉そうですね。新しい木でゼロから作ってしまったほうが、楽だったでしょう。それくらい、オーナーの思い入れも強かったのです。

つづく

■PROFILE

葛城 北の丸

元々は隣接するゴルフ場の宿泊施設として開業した、日本建築の宿。緑豊かな庭と、大胆でありながら繊細な建築空間は、あわただしい日常を忘れさせてくれます。家族や大切な人との記念日や、人生の節目にふさわしい、遠州の名宿です。


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