次郎柿

2014.10.22

赤く色づいた柿畑は、肌寒くなり始めた季節に懐かしさを運んできます。「次郎柿」の産地として有名な遠州地域では、この柿畑の風景は秋の風物詩としてすっかりお馴染みですが、「次郎柿」がこの土地に根付いたのは、偶然のできごとが「きっかけ」でした。

【第1話】

産地になるまで

渋柿の突然変異から生まれた甘柿。

日本ではお馴染みの柿。その品種は1000を越えるほどですが、大きく渋柿と甘柿に分けられます。熟すのにつれて渋が抜ける甘柿は、渋柿が突然変異したもので、日本固有の果物。

日本で最初の甘柿は、神奈川県の川崎市で誕生しました。鎌倉時代の1214年、王禅寺というお寺の山中で偶然発見された禅寺丸柿。昭和初期まではこの地域でさかんに栽培され、名古屋方面まで出荷されたそうです。

今でも、川崎市には「柿生駅」という名前の駅が残っていて、禅寺丸柿の木をみかけることができます。

川から流れてきた柿の木。

遠州地域を代表する柿の銘品種・次郎柿の起源は、江戸時代にさかのぼります。ことの発端は、遠州の森町を流れる太田川の洪水。増水した川を漂流する柿の幼木を、同じ森町に住む松本治郎氏が拾い、育てたのが始まりです。

治郎氏のほんの思いつきで生まれた次郎柿。川から流れてきた柿の木を育てるとは、桃太郎伝説のようですね。もちろん、次郎柿の名前は生みの親である松本治郎氏にちなんでいます。

この次郎柿の原木は、今でも森町で生育しています。明治2年の火事で一度は焼けてしまいましたが、翌年には芽を出し、数年後には再び実をつけたとか。水にも火にも強い、底知れぬ生命力をを持った柿の木です。

天竜川を越えて、海を越えて。

次郎柿は明治になると、森町から天竜川を西へと渡り、浜松市北部の大平(おいだいら)で栽培が始まります。昭和初期に大平の足立静六氏が初めて商品化に成功し、次郎柿の栽培はこの周辺の地域にも拡大していきます。

昭和40年頃からは、次郎柿と並んで富有柿が甘柿の2大品種となり、それと入れ替わるようにして、日本最初の甘柿、禅寺丸柿は市場から姿を消していきました。日本で独自の進化を遂げた甘柿は、今では海外にも広がり、英語でも「Kaki」の名で親しまれる、世界的な果物になりました。




参考:『遠州の地場産業』(静岡県西部地域しんきん経済研究所)



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