遠州ブランドスピリッツ

STORY

地域とつながる、遠州銘菓

2015.03.23
■インタビュー/和洋菓子司 入河屋 松嵜 善治郎

奥浜名湖をのぞむ三ヶ日町で、明治18年から菓子店をいとなむ【入河屋(いりかわや)】。地元・三ヶ日産の素材をいかした気取らない和・洋菓子は、地域の人たちに世代をこえて愛されている。今年で創業130周年をむかえる、五代目店主・松嵜氏の想いをきいた。

【第1話】

自然にひきついだ、老舗ののれん

魚問屋から菓子屋に。130年前の再出発

T入河屋さんは、今年で創業130年とのことですが、もともとは、どのようにして始まったのでしょうか?
松嵜初代の甚作は、現在の湖西市入出に三男として生まれ、もともと魚問屋だったそうです。浜名湖近辺の港で仕入れた魚を、奥山の方広寺の前の、料亭や旅館に卸していました。でも、人が良すぎたのか、保証人倒れになったらしく、商売ができなくなったのです。そんなときに、三ヶ日の人たちから声がかかり、明治14年に三ヶ日に移り住み、明治18年に入河屋を創業したということです。
Tでは、お菓子屋はいわば「再スタート」だったのですね。
松嵜そうなのです。
Tお菓子を選んだ理由はあったのでしょうか?
松嵜初代はとても器用で、鯛や果物をかたどった「おまんじゅう」が評判を得て、「まん甚さん(おまんじゅう屋の甚作さん)」と呼ばれていたそうです。「これからはお菓子が必要な時代になる」という先見の明もあったのではないでしょうか。
Tなるほど。

物心ついたときから、「五代目」と呼ばれて

T松嵜さんご自身が菓子づくりを始めたのは、何歳からですか?
松嵜実はいつから始めた、という記憶はありません。生まれたときから目の前が工場であり、店でしたので、小さい時から、勝手にいろいろな所に入り込んで遊ぶわけです。そうすると門前の小僧みたいなもので、習うというよりは慣れていきました。当然、両親は仕事をしていますので、親といる時間というのは、仕事場にいる時間になるのです。さらに小さい頃から「おまえは五代目だ」と言われてきました。
Tやはり言われるのですか。
松嵜はい(笑)。でも、違和感はなくて、当然、菓子職人になるものだと思っていました。

自分が得意で好きなことを、やり続けたい

Tその後も、菓子職人になることには疑問は抱かなかったのですか?
松嵜はい。他のことをやるよりも、自分が得意で好きなことをやっていたほうがいいと思いましたし、菓子職人に対して、ずっと良いイメージがありました。
Tそれは、とても幸せなことですね。
松嵜そうですね。自分は地元の大学に行ったのですが、入学式で大学がうちの店に紅白まんじゅうを2000個頼んでくれたのです。それを、私が前の日から夜通し作って、包装して、入学式の前に自分で配達したのです。
Tそんな経験は、なかなか無いですね!
松嵜はい(笑)。自分が作ったおまんじゅうをもらって、皆に「これはさっき俺が作ったやつなんだ」という話をしたりして。その頃にはもう、うちにいた職人さんと同じレベルで作れたのです。ただそれでも、やはり一度は外の世界を見てきたいということで、大学を卒業してからは、いったん修行に行きました。

つづく




■PROFILE

和洋菓子司 入河屋

明治18年創業の和洋菓子店。三ヶ日みかんを使った「みかん最中」をはじめ、地元の素材をいかした菓子づくりを続けています。三ヶ日町の本店、豊橋湊町店、遠鉄店(遠鉄百貨店内)の3店舗ほか、一部商品はオンラインショップでの購入もできます。

■ホームページ:http://www.irikawaya.co.jp/

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