浜名湖の青のり

2014.04.23

吸い込まれるように艶やかな深緑色と、磯の香りが食欲をそそる青のり。浜名湖は江戸時代から続く青のりの産地として、のり養殖が代々受け継がれてきました。日本の食卓の名脇役であるのりは、やはりいにしえの昔から、私たちの生活に欠かせないものだったようです。

【第1話】

産地になるまで

租税として納められたのり。

海に囲まれた日本では、古くからのりは人々の生活に身近な食べ物でした。701年に制定された日本最古の成文法典である「大宝律令」によると、当時すでに、のりが租税として納められていたことがわかります。今から1300年以上も前に、のりが大切な食品とされていたことがわかります。

浜名湖ののり養殖の歴史は古く、江戸時代後期、1820年から始まったと言われています。この地にのり養殖を伝えたのは、のり商人の森田屋彦之丞と海苔職人の大森三次郎。舞阪宿に泊まった際、石垣にのりがついているのを見て、のりの養殖を思い立ちました。
当時は、江戸と広島でのみ行われていたのりの養殖。のりは専売品だったため、新たにのり養殖を始めるにあたって、村役人の許可も必要だったそうです。

こうして、試しに養殖をはじめてみたところ、うまい具合にのりが育ち、味も風味もなかなか。3年後には江戸幕府から正式な許しを受けて、本格的に養殖が始まったそうです。その後は順調に収穫量も伸び、当時疲弊していた舞阪宿の財政も、のり養殖による収入で立て直されたそうです。

200年の時をこえて、感謝を伝える。

大宝律令がさだめられた2月6日(旧暦の1月1日)はのりの日。この日には、全国でのりにちなんださまざまな行事が行われます。舞阪では、全国でも唯一の「のり供養祭」が行われています。これは、舞阪ののり養殖にたずさわる人たちによって、この地にのり養殖をもたらした森田屋彦之丞を供養し、のりの豊作を祈願するものです。

森田屋彦之丞は現在の長野県、信州諏訪村の出身。彼の死後、遺骨は故郷のお寺に納められましたが、浜松市舞阪町にある宝珠院でも分骨された彦之丞の遺骨が祭られています。この地にのり養殖が根付いてから約200年の年月をへだてた今も、彼ののり養殖に対する情熱と、義理がたい舞阪の人たちの感謝の想いが、冬の日に通じ合うのではないでしょうか。


参考:浜松市ホームページ

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