浜名湖の牡蠣

2014.01.24

生産量こそ少ないものの、知る人ぞ知る、浜名湖の牡蠣。大粒で濃厚な味わいは、食通の間では評判です。敢えて生食用ではなく、加熱用のみで販売するのにも訳があったのです。浜名湖で脈々と受け継がれている牡蠣養殖の拠点、舞阪を訪ねてみました。

【第1話】

産地になるまで

ナポレオンも愛した「海のミルク」。

牡蠣は世界的に古くから食べられてきた貝です。タンパク質やミネラルを豊富に含み、ほ乳類動物の乳に匹敵するほどの栄養素を備えていることから「海のミルク」とも呼ばれています。

牡蠣は歴史上の英雄たちにも愛されました。ドイツ帝国の首相ビスマルク、文豪バルザック、そしてあのナポレオンも、戦場でも3度の食事に必ず牡蠣を食べ、フランス沿岸の天然牡蠣を食べ尽くしたと言われるほどです。滋養あふれる牡蠣がいかに好まれ、珍重されてきたかがわかりますね。

橋の下を見れば・・・。

遠州地域の西端にある湖・浜名湖は遠州灘へと繋がる水路がある汽水湖。元々は淡水だったこの湖は明応7年(1498年)の大地震とその翌年の大台風で遠州灘と繋がりました。それ以来、海の生物と川の生物が共存する豊かな場所です。

浜名湖で牡蠣の養殖が始まったのは明治20年頃。浜名湖に鉄橋をかける際に、橋脚の基礎部分に多くの蛇籠(鉄線などを用いかごを作り、砕石を詰め込んだもの)が組まれ、そこに捨てられた大小の石や蛇籠の間に天然の牡蠣が育ち始めたのです。その様子を浜名湖畔の舞阪町に住む田中万吉氏が発見し、幼牡蠣を育てることを思いつきました。

原始的な地蒔きから垂下式へ。

養殖は鉄橋に程近い一角に囲みをつくり、その中に牡蠣を置く地蒔(じまき)の方法で行われました。生産された牡蠣は、浜名湖の水の中で順調に成長したそうです。次々と養蠣(ようれい)場を拡大し、明治から大正初期にかけては万吉氏による牡蠣生産は独占的な状況だったそうです。

やがて牡蠣養殖業者が次第に増加し、浜名湖は牡蠣の産地として知られるようになっていきました。大正15年(1926年)からは種牡蠣の貝殻を長さ2m位の針金につるして養殖する垂下式の養殖法が取り入れられました。この垂下式を採りいれてから生産量は一気に拡大したそうです。


参考:『遠州の地場産業』(静岡県西部地域しんきん経済研究所)/『静岡県 農・林・水 産地ガイド』(関東農政局静岡統計情報事務所)/『水産の舞阪』(静岡県浜名郡舞阪町)/ 浜名漁業協同組合HP
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