TOWTOWMI SELECTION

STORY

五代目 和菓子職人の挑戦

2014.03.17
■インタビュー/巖邑堂 内田 弘守
【第3話】

「どら焼き」誕生秘話

修業時代のささやかな楽しみ

T内田さんが考えた商品の中で、定番になっているどら焼きですが、これはどういうきっかけで生まれたのですか?
内田どら焼きは小さなころから一番好きでした。親が和菓子屋なので、ほかのお店の和菓子を参考に買ってよく食べていたのですが、どら焼きがあれば、どら焼きを食べていました。どら焼きがすごく好きだったのです。修行先のメインのお菓子が「もみじまんじゅう」のようなお菓子で、「紅梅まんじゅう」というのですが、もみじまんじゅうの梅の形をしたようなものだったんです。結構どら焼きに似ていて。
Tなるほど。
内田僕はどら焼きが好きだったので、それを自分で焼いていました。焼いているうちに、何かおいしくないので、こうしたらおいしくなる、という工夫をずっとやっていて、自分なりのレシピを作り、自分で楽しむどら焼きをこっそりと作っていたんです。
T完全に自己満足の世界ですね(笑)。
内田そうですね(笑)。修行生活のささやかな楽しみでした。その後、実家に帰ってきたんですが、当時は巖邑堂ではどら焼きを作っていませんでした。店を改装することになり、そのときに工場を全部つぶしたので、仮工場を造りました。その仮工場がとても狭くて、大掛かりな商品はほぼ作ることができなくて。売るものがないけれど、店は開いているので、そのときに自分のレシピで作ったどら焼きを出してみることになり、店に置きました。最初は全然売れませんでしたけど。
Tそうだったんですか?

口コミから復活した、「幻のどら焼き」

内田全く売れなくて、2、3個しか売れませんでした。でも、おいしいから自分で食べる分ぐらい焼けばいいやと思って、毎日焼いていました。そうすると、焼くのもだんだんうまくなってきて。ただ、半年の建て替え期間が終わって新しい商品を並べるとき、どら焼きは準備までがすごく面倒なので、やめたんです。
Tそうだったんですね。
内田ええ。ただ、「仮店舗のときに焼いていたどら焼きを作ってほしい」というお客さまが多くて、だったら少しだけ置いてみよう、ということになりました。置き始めたら今ではこうなった、という感じです。本当に口コミだけです。面白いと思いましたね。やめなくて良かったです。
Tこだわりのレシピですからね。
内田昔は、自分がおいしいと思わなくても、何か商品が欲しいから出すというときもありました。それこそ、いきがっていたころには、俺はこんなのができるんだ!ということを見せたいがために、商品にすることがありました。そうすると、最初は珍しくて買う人もいますが、売れません。でも、自分でおいしいと思って、自分のためだけにでも作ろうと思うような商品は、後になって売れてきます。

毎日が商品開発の現場

T新しい商品は、どういうときに思いつくんですか?
内田常に何かやっています。うちの従業員はみんなそうですが、他でおいしいお菓子を食べると、それを超えるような和菓子を作りたい、と研究みたいなことを本当にずっとやっています。
Tでは、空いた時間に、みんなで作るって感じですか?
内田そうですね。みんなで好き勝手にやっています。それは怒りません。「自分なりに挑戦して作ってみな!」という感じです。言い方は悪いですが、決まったことだけ、例えば、ずっと流れてくるお菓子の検品をする、みたいな仕事だと、多分つまらないと思います。従業員も、そういうことをやりたくて入ってきたとは思いませんし。ですから、どんどん作らせて、いつもの仕事が、おろそかになりそうなくらい(笑)
Tそれは心が広いですね。やることをやってからやれ、というわけじゃないんですか?
内田それは、あまりありません。「いつもの作業は俺が代わるから、新しいことに挑戦してみなよ」という感じです。

つづく

■PROFILE

巖邑堂

明治初年の創業以来、伝統の技法で昔ながらの和菓子の味を守る、老舗の和菓子店。定番商品の他、季節ごとの和菓子も人気です。一部の商品は通信販売でも購入可能。浜松駅より徒歩5分。



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