TOWTOWMI SELECTION

STORY

五代目 和菓子職人の挑戦

2014.03.13
■インタビュー/巖邑堂 内田弘守
【第2話】

伝統を守る父、変化を求める息子

毎年同じ和菓子は作らない

内田自分が継ぐときも、父は、「俺はただバトンを渡すだけの人間だ」と言っていました。僕が入って、いろいろ変えました。今の店は、僕が最初に実家に入ったときとは全然違います。表向きは一緒に見せてはいますが。
T例えば、おじいさんの頃のお菓子で、もう作っていないものはありますか?
内田結構あります。上生菓子というお茶席のお菓子などは、ずっと変わっていませんでした。季節ごとには変わりますが、次の年になると、また同じものを出していました。まずはその慣習をやめて、次の年には同じものをなるべく作らないようにしました。
T常に変えていくんですか?
内田常に、いけるところまで変えていこうということです。
Tさっき作っていただいた梅の和菓子も、来年はもう作らないってことですか・・・?
内田何かのときには使えますが、絶対に定番にはしません。材料も、仕方なく変えたものもありますが、時代と合っていないと思えば変えます。
T具体的には?
内田例えば焼き菓子は本当に昔のお菓子で、小麦粉と砂糖とあずきを使っています。別にまずくはありませんが、今食べると、何だかそっけない味です。他のお菓子がいろいろ工夫している中で、かたくなにそれを守ることがいいとは思いませんでした。時代性を考えてアレンジを加えています。

今だからわかる、父の想い

Tお父さんの代では、あまり変えてこなかった?
内田父の代では、そこをけんかしながら変えていきました。お菓子のことで意見が合わないので、毎日けんかをしていましたね。店の方針も意見が合いませんでしたし。27歳で実家に帰ってきて、31歳のときに父が亡くなりました。5年間一緒に働いていて、氷が溶けることはありませんでした。
Tそうでしたか・・・。
内田挨拶もしないという感じで、従業員が結構気を使うような感じでしたね。
Tそれほどお互いに本気だったんですね。お父さんがそこまで変えたくない、と思っていた根拠は何だったんでしょう?
内田なんでしょうね。そこが分からないので、喧嘩をしてたんですよね。ただ、亡くなってから、息子に負けたくなかったんじゃないか、という感じがしました。心の中では、息子が跡を継ぐ気になっていることは嬉しいだろうけれども、僕も結構行き過ぎてしまうところがあるので、それが心配というか、セーブしようと思ったんではないでしょうかね。
T何かエピソードはありますか?
内田20代の頃は、自分も血気盛んで、抹茶のムースに無理やりカステラを合わせたものなど、結構いろいろやりました。なんでしょう。かっこいいお菓子が作りたかったんだと思います。
Tそういうときは、お父さんは、「何だ、これは!」という感じですか?
内田はい。ですから夜中まで仕事をしていると、電気を消されました。息子が帰ってきて一生懸命お菓子を作っていたら、普通はうれしくて褒めるじゃないですか。電気を消して、ガスを止めちゃうんですよ。
T本当ですか?
内田すごかったです。まあでも、それもいい環境ですよね。負けないようにやろう、と思いますから。

つづく


■PROFILE

巖邑堂

明治初年の創業以来、伝統の技法で昔ながらの和菓子の味を守る、老舗の和菓子店。定番商品の他、季節ごとの和菓子も人気です。一部の商品は通信販売でも購入可能。浜松駅より徒歩5分。



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