続・地名と地元

2015.03.08

さて、前回の「地名と地元」の記事には、嬉しい反応を沢山頂き、ありがとうございます。ご好評につき、続編をお届けします。

というのも、予告通り「遠江国風土記伝」を借りました! そして、さらに詳しく地元と地名について調査しました!

頂いたご意見の中に、調査は大変だっただろうというお気遣いのお言葉を頂きましたが、実は、そんなことはございませんでした! 家から徒歩10分のご近所の和菓子屋さんに地元「長上(ながかみ)」の名をつけたお菓子があることに気付き、説明書きに「西暦702年に長上が成立」とあったのが発端でした。

西暦702年成立なんて、にわかに信じがたく、ネットで裏を取り(ネットです・・すみません・・今回は文献もあたりました)、どうやら事実らしい1300年来の地名の由来に加えて、自分が20年以上遠州で暮らしている間に自然に耳に入ったお話をちりばめた、というのが前回の記事の生い立ちです。

そうなんです。日常を取りまとめただけだったのに、あんなに深い歴史に触れられたのが最大の驚きでした。

さて、今回は、「風土記」をベースに調査するぞ!
・・・と意気込んで文献を開いたのですが(想像以上に厚い本でした)、遠州各地の古い地名や伝説について、全然ピンとこない・・・!↑遠江国風土記伝

★遠江国風土記伝について
内山真龍による。寛政元年(1789年)の前書きあり。当時、土地の老人に土地に伝わる伝説を聞いたり、古事記や続日本書紀にあたったりしてまとめた地元誌。地区の境界の説明、地区や寺社の名前や石高の一覧、地名にまつわる伝説などが掲載されている。
内山真龍(うちやままたつ)は、現在の天竜区出身・1740年(元文5年)生まれの国学者。賀茂真淵に師事した。

遠江国風土記では、長上の他に12の郡が紹介されています。
濱名郡、敷智郡、引佐(いなさ)郡、麁玉(あらたま)郡、磐田郡、豊田郡、山香郡、南周智郡、山名郡、佐野郡、城飼郡、蓁原郡。

各郡で章立てされ、各章で細かく地名や寺社名が紹介されています。ただしその記載は旧字体だったり、読み(音)は同じだけど異なる漢字で書かれていたりして、今の浜松市内の記述はおおよそ分かるといえば分かるのですが、あんまりピンときません。現浜松市外になると、もうさっぱりです。

ここで思い出したのは、まちづくりに関わる ある大先輩が教えてくれたこと。

「『地元』というリアリティがあるのは、実は中学校の学区までなんだ」

この言葉は、最近頂いたものですが、ここにて強く実感しました!!

今の長上地区が指すのは、ほぼイコールで中学校区です。中学校区内の地名や寺社のことは、まさにリアリティがありました。例えば、家族から地名にまつわる話を聞いたとか、その地区を通って学校に行ってたとか、夏にはその神社の花火を楽しみにしていたとか、自分ちがその寺の檀家だとか・・・

中学校区の外になると、急にリアリティは減ります。大人になるにつれ行動範囲は広がり、行ったこともあり知らないわけではないのですが、その交差点名を目印にしたとか、その地区のあるお店は行ったことがあるとか、友達が住んでいるとか・・・知っていると言っても、地理的に「点」であり「音として聞いたことがある」程度なことが多く、どうもリアリティとして迫ってこない。

人間が暮らす中で直接触れられてリアリティを持つ情報というのは、これだけ交通網や情報網が発達した現代でも、ある程度の範囲の中におさまるものなんですね?

というわけで、遠州各地の面白いいわれなどを紹介するつもりでいたのですが、私にできるのは、ちょっと名の通った各地の地名はやっぱり1300年レベルだったというご紹介にとどまります。例えば、

浜名湖畔だと、三ヶ日、気賀、金指、中之郷(今の新居町の中の地名)
浜北の方だと、貴船(当時は木舟だったよう)、美園、小松、西箇崎
浜松の街中あたりだと、助信、入野、鴨江、富塚↑浜松の街を見渡す。この街の背景を知ってみると、表面にある生活の向こうに 地形に根差した歴史があると改めて思いをはせ、感慨深い。

皆様も、お住まいの地区の情報のある風土記をご一読されることをお勧めします。もしその土地に20年単位で住んでいれば、かなり興奮しながら読めると思います。家族と一緒に読んでも楽しいかも。

各地の風土記(wikipedia)

そして、我が長上地区をさらに深堀りさせて頂きますと・・・

前回推測した、「『○島』という地名は、天竜川が氾濫した際にも沈まなかった土地では」という仮説について、風土記によると「岸辺の土地を○嶋と呼ぶ」とあり、岸辺=沈んでいないので、おおよそ正しかったようです。川辺または海辺の土地を呼ぶということで、上島や細島の他にも「西嶋」「福嶋」「江ノ嶋」など紹介されていました。

また、とにかく天竜川の暴れっぷりが常にこの土地の話題の中心で、地名の由緒は、荒ぶる川か治水の話ばかりです。あまりに面白いので、要約をご紹介します。あ、でも地元民には200%楽しいのですが、他地域のみなさまは、こんなエピソードがあるんだと知って頂ければ幸いです。

笠井(かさい)・・・字面からは水がまったく読み取れませんが「天龍川の氾濫の後、地面が光る場所があり掘ると仏像が出て来た。泥を井戸の水で洗い、子供達が雨風をよけるようにと笠をかぶせ、祀った」

有玉(ありたま)・・・「坂上田村麻呂が東征する際、(今の有玉付近から先は)『中淡海』になっており進めなかった。海には大蛇がいた。?たくさん中略? 玉を投げたところ大蛇をおさめることができた。」玉が沈んだ場所が有玉だそうです。

いやはや。さらっと坂上田村麻呂が出てきました。あれは教科書に書いてあるものだとばかり思っていたのに、ご近所で活躍していたとは。天竜の山に「将軍杉」といって、坂上田村麻呂が食事した箸を地面に挿したものが杉となったという伝説を持つ樹齢1300年の杉もありますが、それでも中学校区からは遠くて、リアリティはなかった。私のテリトリーでも大活躍だったとは、田村麻呂さん。親しみ感じちゃいますね。

風土記(長上地区)を読んで印象深かったのは、天竜川の暴れ方が想像以上だったこと。↑天竜川のダム。この緑色を「竜」に例えたと思っていましたが、暴れるゆえの竜の意味が強いのかも。

いま、ここ長上の地は、平野の真っただ中、津波も山崩れも渇水も雪害もない土地で、天災のない場所に生まれてラッキー♪と安易に思っていたのですが、もともとは川の氾濫に常にさらされていた土地で、代々のご先祖が治水に労力をかけてかけてかけて、1000年以上もかかって安住の地となったのでした。

たまたまラッキーじゃなくて、先人の努力の結果でした。
知りませんでした。感謝ですね。

COLUMNIST

Saiko Hakamata

大学卒業後、東京に本社を置く企業に6年間在籍、計10年を東京で過ごす。30代に入り、故郷・浜松にUターン。高校卒業以来の遠州ライフを楽しんでいる。

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