天竜川の礎を作った偉人 後編

2015.10.13
みなさんこんにちは、Kengoです。10月に入り冷え込んできました。今年はもう25度を超えることはないということで、すでに毛糸の靴下を取り出し冬に備え始めました。

さて、今回は【"天竜川の礎を作った偉人 前編" 】の続きとなります。

学校でも、金原明善について学ぶ機会があるほど、遠州地域にとても大きな功績を残した明善。しかも、遠州生まれの遠州育ちということもあり、親近感が半端ではありません。私の明善のイメージは、「遠州のために尽力した伝説の人」でしたが、実はもっと大きな功績を残した人でした。後編では、前編の続きとして、明善の生い立ちや哲学に迫って行きたいと思います。

「私財を担保に明治政府から資金の援助を勝ち取る」

昔から雨が降るたびに水害の原因となっていた天竜川。よく祖母の世代から暴れ天竜の話は聞いていました。せっかく作った作物や家屋が川へのみ込まれて行き、遠州に住んでいる人々はみな困り果てていました。そこで、なんども洪水を経験している明善が本格的な堤防の補修に立ち上がりました。

まず明善がしたことは資金を調達することでした。そこで、当時の明治政府の大久保利通と面会し、補助金を頼み出ました。その時の条件は、私財すべてを政府へ献納すること。その資金を元手に、修繕を進めていきましたが、当時の明治政府は財政難ということもあり、途中で資金を止められてしまいます。しかし、地方の有力者から資金を援助してもらいながら、修繕を進めて行くことができました。

また、明善は、堤防の補修を進めて行く中で、もう1つの大きな功績を残しています。それは、犯罪を犯し出所してきた人物の保護を行い、社会に復帰するための道を作ったということです。この活動は現在の保護司制度の礎となっています。

「植林事業を始める」

明善は、修繕事業の後、天竜川の洪水の根本を防ぐため、植林を始めます。暴れ天竜の根本的な原因は山にあると考えたのです。植林については全くの素人でしたが、周りに教えをこいながら、ここでも私財を投げ売り、植林を進めて行きました。結果的に、森が整えられたことで、天然のダムとなり洪水を防止しています。また、今の美しい天竜杉林があるのは、明善と当時働いていた800人の方達のおかげでだと思うとありがたく思います。

明善は、このように人々のために尽くしていました。そういった明善の心意気に、様々な人が賛同し、明善が困った時には手を貸していたのは想像難くありません。そんな明善らしさが特によく現れているなと思うのが、事業経営の方針です。

1. 身を修め家を斉えて後、始めて報効の道は開かれる。
2. 事業には必ず資本を必要とする。この資本は質素倹約を基調として求むべきものである。そして、その事業が大きくなるに従ってその資本は共同出資方式にならねばならぬ。
3. 事業の発展進歩はその事業に携わる人々にある。そしてこの人物の育成は教育に俟たねばならぬ。
Wikipedia から引用


また、節制を心がけ、財布を新聞紙で作って使っていたと言われています。

明善のこういった心意気を是非受け継いで行きたいなと思いました。

明善の資料は、金原明善記念館に保管されています。もし、機会があったら足を運んでみて下さい。
住所:浜松市東区安間町35
Tel: 053-421-0550
時間:9:00〜16:00
料金:無料
休み:月曜日、祝日、年末年始

場所は、東区の浜松鑑定団の近くです。

COLUMNIST

Kengo Shimazu

天竜川のほとりでのびのびと育った20代。シンガポールと台湾での生活を経て、現在浜松在住。遠州の魅力発信に燃えている浜松男児。

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