故郷で夫とはじめた第2の人生?単身生活編?

2015.06.23

2月末には浜松行きが決まり、私は浜松山里いきいき応援隊として引佐地域に赴任することになった。浜松市から合格の通知と今度住む住居の詳細が送られてくる。刻々と旅立ちの日が迫っていた。今回の浜松行きは、たくさんの方たちの理解と許しがあってこそ実現したものだった。私がやりたいことをやり通すことでたくさんの方たちに心配や迷惑がかかるのは百も承知だった。それでも行きたい。行かなくてはいけない。そんな気さえしていた。

すべてが決まった時に真っ先に浮かんだのは亡くなった熊の祖母の顔。祖母が導いてくれた道なのかな・・・そんなことを想いながら最低限の荷物をまとめ、私は単身浜松へと旅立った。3月24日。浜松の駅のホームで新幹線を降りたとき、あぁ、私はもうここから東京へ「戻る」ことはないんだ、そう思った。浜松が私のホームになる。今までは浜松は故郷というより、単なる帰省先だった。戻るところは東京の我が家。でも今日からは、この古巣が「我が家」になる。とても不思議な感覚だった。

私はここで自分の居場所を見つけられるのだろうか。考えてみれば不安なことばかり。東京生活が長かったから浜松の友人とはほとんどつながっていないし、年に数回しか帰らないので最近の店は全く分からない。慣れない車の運転、そして浜松といっても引佐はほとんど今まで縁がなかった場所。新しい場所での人間関係をこれから構築していくことを考えると不安が募った。そんな不安を抱えながらも新しい日々は待ってはくれない。引佐での新生活がはじまり、応援隊として農作業の手伝いやイベント、祭り、地域の集まり、団体の会合など多くの人々との出会いの連続。そこで出会った引佐の人たちは、正直東京で出会った人たちとはまるで「別人」だった。

私だってもともとは浜松の出身なのだからそんなに違うはずはないと思っていたのだけど、私自身が東京で暮らした時間が長すぎた。いつの間にか私は東京での人との接し方に慣れていたし、できるだけ人と上手に距離を保ちながら一線を置いた人付き合いをするようになっていた。でも、明らかにこちらの人たちは違った。伝える言葉がとてもストレートなのだ。オブラートに包むような回りくどいことはしない。まったく悪気がない、ということに気づいたのは後でのことだったから、初めはそれが少しキツい口調に聞こえることもあった。

でもだんだん地域の方と接しているうちに気づいた。そのストレートさは裏表のないオープンさからくるものだと。とにかく自分をごまかすとか飾るとかそういうことがほとんどない。それ以上でもそれ以下でもない、等身大の自分をみんながぶつけてくる。

確かにはじめは面食らった。本音と建前が当たり前の東京での会話はみんなたいてい物腰柔らかだったから。でもこちらの人は違う。一度出会って話しただけでも家族のように接してくれる。

そんな地域の人たちとの距離感にはじめは戸惑いながらも、だんだんこれってすごいことかも・・・と感じるようになっていた。自分を知らない人にこれだけさらけ出せる、まさに「ホンネ」のコミュニケーション。そのまっすぐな言葉に心を揺り動かされ、感動して胸が震えるようなことが何度となくあったのだ。私自身も地域の方と接していくうちに自分の中に眠っていた「浜松人」の気質を思い出していくような感じがした。
あぁ、そうだった、私も浜松の生まれだった。
私の中にもあった、ストレートで飾り気のない部分。
浜松に戻ってきて半年後に夫が私に言った「なんか、前より我が強くなったね」という言葉はそんな私の変化を表しているかもしれない。「我が強い」はあまりほめ言葉とは言えないかもしれないけれど・・・きっと飾らない、そのまんまの「自分」を表現するようになってきたからではないかと思う。

そんなふうに私も半年でいろいろ変化していた。そんな私のもとに、とうとう夫が東京からすべての荷物を引き上げてやってくる。はじめての山里での夫婦生活のはじまりだった。?続く?

COLUMNIST

Sayumi Inoue

平成26年より、浜松市の中山間地域のサポートを行う「浜松山里いきいき応援隊」・引佐地域担当として採用され、18年ぶりに浜松へUターン。昨年秋には夫も東京から移住し、夫婦での山里暮らしをスタート。地域に関わりながらそこに暮らすことで、日々自分の人生を再構築中。

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