故郷で夫とはじめた第2の人生?序章・前篇?

2015.05.29

18年前、私は浜松を出た。東京に憧れて、この狭いまちを離れることが嬉しくて仕方なかった。まさか浜松に戻るなんて思ってなかった。

あれから18年。

私が今住んでいるのは浜松の中でも浜名湖を北上した愛知県との県境の山合いの里、引佐町渋川。ここに来ることになったのは昨年Facebookで見た浜松の中山間地域の支援を行う「浜松山里いきいき応援隊」の求人がきっかけだった。天竜の熊に住む、大好きな祖母が他界してまだ日も浅い頃。こんなに近い身内の死を経験したのは初めてのことだった。しかも自分が心から尊敬し、信頼していた祖母。そしてちょうどここ数年、東京での生活に疑問を覚え、祖父母の住む山里の暮らしに興味を持ち始めていたタイミングでもあった。

自然の中に暮らし、季節のものを手作りする生活。そんな生活が人間として本当に自然な生き方なのではないかと感じ始めていた。祖母が先人から受け継いできた知恵を、生き方を、自分も受け継ぎたい。そう思っていた矢先の、祖母の死。こんな風にして、先人の素晴らしい知恵を持った人がどんどんいなくなる・・・私が身に染みて感じていたちょうどその時に、この求人に出会ったのだった。

この時私は東京の練馬で夫と二人で暮らしていた。東京23区の中でも畑があったり緑がまだ残る、素敵な街だった。私も夫もその街を気に入っていたし、まさかそこをそんなに早く出るなんて思ってもみなかった。晴天の霹靂とはこのことだろうか。でも、出会ってしまったのだ。Facebookのタイムラインで友人がその記事をシェアしていたのを、そのタイミングで目にしてしまった。募集地域は天竜区の龍山、水窪、そして北区の引佐地域。大好きな祖母がいた熊からもほど近い場所だ。私は昔から祖父母の家に遊びに行くのが大好きだったが、そこに住みたいと思ったことは正直一度もなかった。

求人を見ながら私の好奇心はどうしようもなく動かされていた。「実際にその場所に暮らしてみたらどうなんだろう」「そこで先人の知恵を受け継ぐことができたら・・・」夫とは以前からいずれは東京を離れたいという話をしていたけれど、浜松という選択肢が出たことはなかった。夫は埼玉の出身で浜松とは縁もゆかりもないわけで。冗談で母親が「天竜のじいちゃんのところにふたりで住んだら?」といったことはあったけれど・・・

求人を見たのが1月。応募締め切りは2月半ば。私はとても迷っていた。ちょうどそのとき私は前職を辞めて間もない頃だったので仕事面で問題はなかった。

私の一番のネックは夫がどう思うかということだった。1年ごとの更新、最長3年まで継続可能だとある。この仕事をするなら最低でも1年は浜松に住まなくてはならないのだ。東京を離れなければいけないのは必須だった。

「こんな求人があるんだけど・・・」

おそるおそる、夫に話をしてみた。

「まだ応募するか決めてないんだけどね、Facebookで見たの」

夫はそれを見て「ふうん」といった。「応募するの?」と。

「わからない」と私。

「まだどうしたいのか、整理がつかない」と。

「どっちにしても、好きなようにすればいいよ」

夫から出た言葉はそれだった。夫は私のことをよくわかっている。私が自分で決めたことは、やり通すということを知っている。でも、彼は本当にそれでいいんだろうか・・・?

悶々と悩み続け答えが出ないまま、時は刻一刻と応募締め切りの日へと近づいていくのだった・・・。
?序章・後編へ続く?

COLUMNIST

Sayumi Inoue

平成26年より、浜松市の中山間地域のサポートを行う「浜松山里いきいき応援隊」・引佐地域担当として採用され、18年ぶりに浜松へUターン。昨年秋には夫も東京から移住し、夫婦での山里暮らしをスタート。地域に関わりながらそこに暮らすことで、日々自分の人生を再構築中。

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