浜名湖のあさり

2014.06.25

塩分が海水よりも少ない汽水状態と、砂泥を好むあさりにとって、浜名湖は生息に適した環境。酒蒸しやお味噌汁の具にすれば、磯の香りたっぷりの出汁を味わうことができます。お店で買うだけでなく、「磯遊び」や「潮干狩り」で、自分で採ったものを味わえるのも、あさりの魅力。海風の中、潮が引いた浅瀬で過ごす時間は、格別です。

【第1話】

産地になるまで

古代のひとびとの貴重な食糧。

あさりは、日本では古くから食べられてきたとても身近な貝。日本だけでなく、台湾や朝鮮半島、フィリピンにも生息しています。

縄文時代の「貝塚」から、あさりの貝殻が発見されているように、古代の日本人にとっても貴重な食べものでした。貝塚は日本全国で2500個ほど発見されていています。日本に限らず、世界中で発見されていますが、特に中国や朝鮮半島などの東アジアの沿岸地帯に密集しているようです。

春の風物詩・「磯遊び」。

平安時代になると、あさりなどの貝を採る行為は、単に食べものを得るためだけでなく、文化や風習の一部になっていきました。その代表的なものが「磯遊び」。「山遊び」とともに毎年春、農耕や漁労の仕事が忙しくなる前に、野山や海辺に出て遊んだり食事をしたりする慣わしがあったのです。「磯遊び」をするのは、3月3日の節供や3月?5月の大潮の日。一家揃って浜辺に出て過ごしたそうです。

江戸時代の大阪では、3月3日の住吉の潮干狩りが有名でした。熊手を持ち、笛太鼓、鼓、三味線などのお囃子(はやし)を乗せた船を漕ぎ出し、住吉から堺まで人で埋め尽くすほどの盛況ぶりだったとか。

「遠足」は「山遊び」が、「潮干狩り」は「磯遊び」が、それぞれ変化したものです。

環境の変化を乗り越えてつづく、浜名湖のあさり漁。

浜名湖では、明治の中頃からすでに潮干狩りが行われていたそうですが、本格的なあさり漁が行われはじめたのは、1961年(昭和36)年からです。その後、1970年代に干潟や入り江などに潮の流れをよくするための、水路を開く工事が行われたことから、良質なあさりがたくさん採れるようになりました。

その後は乱獲の影響もあり、漁獲量は減少傾向にあります。その中で、地元漁協が中心となり、規制や稚貝の放流などを行いながら、あさり漁が続けられています。

参考:浜松情報Book、『遠州の地場産業』(静岡県西部地域しんきん経済研究所)

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