世界企業の多産と遠州人の気質(私論)

2014.10.15

こんにちは
今回は少し固いタイトルですが、また、けっこうな長文で恐縮ですが、「遠州地域でなぜこんなに沢山の世界的企業がうまれたのか?」について私論を展開したいと思います。↑遠州地域の最大都市、浜松の駅

遠州発祥の世界的企業とは、具体的に挙げますと以下のような企業さんたちです。誰もが耳にしている名前であり、世界的にもその名を馳せています。
(他にも規模や実力のある企業はたくさんあります)

自動車/バイクメーカー
・ホンダ(本田技研工業株式会社)
・スズキ(スズキ株式会社)
・ヤマ発(ヤマハ発動機株式会社)

楽器メーカー
・ヤマハ(ヤマハ株式会社)
・カワイ(株式会社河合楽器製作所)

新しいところでは、2002年の小柴さんのノーベル物理学賞に貢献した光学機器メーカーがこちら。
・浜ホト(浜松ホトニクス株式会社)

〔参考〕「地方都市」である遠州地区に大企業が多数うまれたことは、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの報告書にも特筆されています。
SRIC?MOOK001(1996年7月発行)
「世界企業・全国企業を育む地域風土」原田 昌彦
http://www.murc.jp/uploads/2013/01/001_08.pdf

出典:三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 http://www.murc.jp/

なぜこんなに沢山の世界的企業がうまれたのか?
その理由として、私は遠州人の気質を挙げます。
それは、遠州の風土からうまれた「のんきさ」と「好奇心」。

まずは、気質の違いを端的に表す会話の例を挙げてみます。浜松と東京、大阪を比べてみます。というのも、私は浜松にUターンする前は東京の会社に勤めており、同僚に関西の人間も大勢いました。そのときに会話の流儀の違いの体験をご紹介します。
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ホンダを作った本田宗一郎氏の最初のアイデアは、「自転車にエンジンを取り付けたら速く走れるんじゃないか」でした。当時としては、まさかの画期的アイデア。これを、大阪・東京・遠州で友人に話したらどうなるか。

○大阪流
(あくまで私見ですが)大阪人の会話は基本的に、ボケとツッコミです。
宗一郎「自転車にエンジンを取り付けたら、どうやろか!」
大阪人「あんさん何言うてまんねん! あほちゃうか!」
※大阪人としては褒めている

○東京流
(あくまで私見ですが)東京人はさしさわりがないことを大事にします。
宗一郎「自転車にエンジンを取り付けたら、どうかな!」
東京人「あはは、面白いですね」

○遠州流
(あくまで私見ですが)遠州人は素直に信じて、さらに載っけてきます。
宗一郎「自転車にエンジン取り付けたら、どうかねぇ〜」
遠州人「はー、面白いじゃん! それならクラクションも付けんと危ないら!」
※訳:「わあ、面白いね! それならクラクションも付けないと危ないでしょ!」

違いがお分かりでしょうか。
遠州人は、突拍子もない発想を聞いてもそれを信じた上に、自分のアイデアを載せてくるわけです! 当然宗一郎も負けじとさらなるアイデアをかぶせてくる。妄想はどんどん膨らむ!

こういうやりとりを毎日していたら、今までなかった物が生まれてくると思いませんか?

なお、大阪流・東京流を否定しているわけではありません! この会話の流儀により、大阪には笑いやエネルギーが生まれ、東京では他郷の人々がつつがなく過ごせるといった、それぞれの土地柄にあった処世術だと思います。

では、遠州はどんな土地柄なのか。

私は3つの特徴に注目しています。
それは、気候、立地(経済)、歴史。

■気候
 遠州地方の天候はおだやかで、極端に言いますと、命の危険にさらされることは滅多にありません。
 冬でも日中は10℃ほどあります。もちろん雪も降りません(5-6年に一度、2cm積もるくらい。大人も子供も狂喜乱舞する)。冬の寒さは、命の脅威になりません。
↑大寒の頃の遠州。雪はありません! そして冬と言えば快晴の青空!

 夏は普通に気温が上がりますが、渇水はしません(川の氾濫に悩まされた歴史は聞きますが、渇水は聞いたことがない)。推測するに、遠州は日本の国土の中で幅の広い所に位置していて、「暴れ天竜」と呼ばれ幾度となく氾濫した天竜川を例とすると、その流域面積は5,050平方キロメートルあります。豊かな水量のイメージがある四国の四万十川を対比として挙げると、その流域面積は2,270平方キロメートル。さらに、遠州近辺には日本有数の高い山脈があり、多くの雨水・雪解け水が川に供給されているんだと思います。加えて、夏の冷害も聞いたことがありません。
↑8月末の遠州。

 つまり、気候の厳しさによる否応無しの命の危険をあまり体験することのなかった人々は、のんきに、ちょっと言い方を変えると気候にあらがわない素直な気質になったと考えます。

■立地(経済)
 ご存知のように、日本の大都市圏の間にあるのが遠州地方。江戸時代について言えば、江戸と京都・大阪の間にあった遠州は黙っていても往来があり、旅人がお金を落として行ったわけです。また、都市圏へ商品を売ることもその近さゆえに容易だったでしょう。
 経済的にも逼迫することはあまりなく、日々の暮らしにある程度余裕があったら、人々は娯楽を求めるのではないでしょうか。つまり、面白いもの・知らないこと・新しいことにどん欲になったと考えられます。

■歴史
 遠州人にとってリアリティのある歴史は、「家康以降」です。一番古いのが1573年の「三方が原の合戦」です。(もちろんそれ以前の遺跡・歴史はありますが、実感を伴っている歴史感という意味)

ちなみに、奈良・京都に行けば奈良・飛鳥時代からの歴史が、九州/宮崎に行けば神話の時代からの歴史が、体感としてつながっています。

それと比べると、遠州地方はかなり新しい歴史感覚です。なおかつ、「家康公は浜松城から出世し、江戸幕府を開いた」という誇りを持っています。極端に言えば、江戸は浜松から生まれたようなもんだと思っているところがあります。
↑「出世城」の異名を持つ浜松城。天守は復元ですが、石垣は当時のもの。
ちなみに以前の入城料は大人50円、子供10円。(今でも200円、中学生以下と高齢者は無料の大盤振る舞い)

だから、けっこう「こわい物知らず」なんじゃないかと思います。身近に暮らしていた人(家康公)が、300年の治世の礎を作るという偉業を成し遂げたことを受けて、「私にもできるら」「できんわけないら」という意識がどこかにあるんじゃないかと思います。
※訳「私にもできるでしょう」「できないわけがないでしょう」

参考までに、そんな気概を表す言葉が「やらまいか」です。
以前、ホンダ本社(今は東京)で受付嬢だった方に会った際、「浜松といえば『やらまいか』なんでしょ?」と聞かれるほど、ホンダ社内では知られている言葉のようです。その意味は、「なんでやらないの?(いや、やるでしょ!)」という反語です(どこかの流行語に似た感じの響きですが・・・)。
日常会話で言うことも聞くこともないフレーズですが(笑)、気概を象徴する言葉としてはいいと思います。

さらに細かいことですが、ここまで述べた条件は、遠州地域と駿河地域(県中部の静岡市周辺)でほとんど同じです。しかし、両者の気質はかなり違います。その違いは、本当に私見ですが、遠州からっ風と家康公の居た時期の差かなと。

遠州からっ風は、広い遠州の平野を冬中吹きすさびます(風上に向かうと自転車が進まないくらい)。一方駿河は、山の迫る土地に暮らし、冬も風は吹かないそう。
遠州人は、広い平野を駆け回りながら冬は風に気合いで対抗した結果、外向きで気性が荒めに。静かに暮らしていた駿河人は、内向的でもの静かになったのではないかと想像します。
↑浜松市街地から山を望む。市街地から山のふもとまでは車で40分ほど。山は「遠い」もので、街に暮らしているとほとんど意識しません。↑静岡市にある静岡大学キャンパスから山を望む。静岡市は三方山が迫っていて、ふもとまでは車で10分ほど。そもそも静大のキャンパス自体が山にある。
某マップの航空写真で比べると平地面積の差がよく分かります。

 また、どちらも家康が住まった地域ながら、そのタイミングが異なりました。
 遠州には江戸幕府を開く前に滞在し、当時はまだ若く一大名に過ぎませんから、遠州人は家康公を「仲間」だと思っていたのではないかと。だから今でも、会話の中で「家康」と呼び捨てにします(笑)。
 駿河には、(若い頃にも居たが最終的には)江戸幕府を開いた天下人、大御所としてやってきたのですから、みな貴人として敬います。だから駿河の人たちは口頭でもちゃんと「家康公」と敬称をつけます(笑)。

というわけで遠州人は、のんき(素直)で好奇心が強く、天下(世界)に対してこわい物知らずで、外向き志向の元気者(気性が荒め)だと言えます。
会話の具体例で示したように、その気質が、アイデアを素直に聞いてさらにのっけてくるアイデアの応酬になり、どんどん広がっていく。つまり、創造の芽が育ちやすい土地柄となり、多くの世界企業をうみ出す源泉になっているのではないでしょうか。

参考資料:
Wikipedia/河川の流域面積

COLUMNIST

Saiko Hakamata

大学卒業後、東京に本社を置く企業に6年間在籍、計10年を東京で過ごす。30代に入り、故郷・浜松にUターン。高校卒業以来の遠州ライフを楽しんでいる。

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